【リコリコ12話感想】視聴者の代弁者としての井ノ上たきな
いよいよ12話を除けばあと1話になってきました、リコリス・リコイル。物語も千束と吉松がついに対面し、佳境を迎えています。そんな第12話をメインに振り返っていきましょう。
錦木千束というキャラクターの魅力
千束はいつだって魅力的なキャラクターでした。元気で、自由奔放で、でもたきなにはちゃんとお姉さんしてて。一方では心臓に爆弾を抱えてて、ヨシさんのことで葛藤を抱いている、そんな千束に我々は惹かれてきました。原案のアサウラさんが「主人公が魅力的でないアニメが観られるはずがない」といったことをインタビューで述べていたように、彼女は視聴者の心を惹きつけてやみません。
アンケートの結果からも千束の人気っぷりが窺えます。「千束が18%、たきなが7%」と見事にワンツーフィニッシュを決めていますが、その獲得票には二倍以上の開きがあります。勿論たきなを貶す意図は毛頭ありませんし、たきなはたきなで好かれる要素があるのは間違いないのですが、それにしても千束が圧倒的です。
個人的に思う千束の魅力を挙げると、
- 元気
- 前向き
- 優しい
- 一見すると等身大の女子高生
- 人を殺さない
などなど、各要素はごくありきたりなんですけど、その集合体としての『錦木千束』はとんでもなく魅力的なキャラになっているんですよね。ガンアクションアニメの中だからこそ光るキャラ、とも言えるかもしれません。
私が二次創作小説を構想しているときに、千束視点にするかたきな視点にするか少し迷ったときがありました。人工心臓による寿命に関わる小説だったのですが、寿命が迫っているのに落ち着き払っている千束の内心をとても描き出す自信がなくて、やむなくたきな視点にして小説を書きました。
実際に寿命があと二ヶ月しかないのに全く動じない千束は、前向きさ加減が突き抜けています。これはアニメだからこそと言いますか、千束を貫徹して前向きに描き切る!という制作サイドの強い意思を感じました。普通だったらちょっとくらい動揺させてみようとか考えそうなものですけどね。
千束に惹かれるたきな
話が少し逸れましたが、我々と同様に、千束に心惹かれていくキャラがリコリコには存在します。言うまでもなく、井ノ上たきなです。彼女はDAから喫茶リコリコに左遷されますが、最初のうちはDAに戻ることしか考えていませんでした。でも千束というキャラがその凍えた心を甘く溶かします。
この噴水での名シーンは殊更に言うまでもありませんが、ここでの千束の台詞に足立監督は非常に悩まれたそうです。その甲斐あって、千束の優しさや心遣いが押し付けがましくなく全面に出ていますよね。このシーンで千束というキャラの虜になった方も少なくないはず。そのうちの一人がそう、登場人物の一人である井ノ上たきなでした。
視聴者の代弁者としてのたきな
話を12話に戻します。この話数(の特にAパート)で千束は戸惑い続けます。
「真島は殺したのか」と千束に迫るヨシさん。「人に救われた命で誰かの命を奪えるわけないじゃない」と優しさ故の苦悩を打ち明ける千束。どうしても千束に実弾の銃を撃たせたいヨシさん。たきなを守るため、止むを得ずヨシさんを実弾で撃った千束。千束のことを「死にかけの人形」と例え、千束を傷付けるヨシさん。「命を粗末にするやつは嫌いだ!」とビンタを浴びせる千束。
二つ目の人工心臓を吉松自身に埋め込んでいたというのにも驚かされましたが、ヨシさんの言動は常軌を逸しています。それでも尚、言葉による説得で何とかしようとする千束に、もはや「千束は優しいから」を通り越して「千束、もうやってしまえ」という感情を抱いた視聴者も少なくないのではないでしょうか。その視聴者の代弁者として現れるのがたきなです。
たきなはヨシさんに向けて躊躇なく実弾を打ち込みます。吉松を殺してでも千束を生かしたい。それはたきなの強い思いであると同時に、視聴者の願いでもあるのではないでしょうか。でもそれを良しとせずに全力で防ぐのが千束というキャラクターなんですね。
「ヨシさんを殺して生きても、それはもう私じゃない」。この台詞とたきなの鬼気迫る叫びが交錯します。図星を突かれたと思ったのは私だけじゃないはず。そうなんです、ヨシさんを仮に殺して千束が生き永らえたとしても、それは最早千束と呼べる存在ではなくなってしまう。千束は自らのアイデンティティをしっかりと理解していた、だからこそ暴走するたきなを止めることができたのです。齢17にしてここまで自身をしっかりと把握している千束には驚きを禁じえません。
「嫌だ……千束が死ぬのは嫌だ……」。これはたきなの心からの吐露だったと同時に、視聴者全員の代弁でもあります。誰がこんな幼気な17歳の少女の死を望むでしょうか。でももう千束はとっくの昔に腹は決まっている。その一方で視聴者はその決心に付いていくことができない。そのギャップを埋めてくれるのが代弁者・井ノ上たきなという存在であり、彼女の言動なのではないでしょうか。だからこそ彼女の言葉一つ一つが我々の心に強く響くのでしょう。このシーンは涙なしでは観ることができませんでした。
余談
今回は「視聴者の代弁者としての井ノ上たきな」という視点で12話を見ていきました。実際にたきなが物語の装置として果たす役割は大きく、9話で千束の寿命が判明したときも激しく狼狽えて我々の心境を代弁してくれていました。
あと一話で物語は終わってしまいますが、「嫌だ……千束が死ぬのは嫌だ……」というたきなの、視聴者の思いは果たして届くのでしょうか。最終話、心して観ようと思います。
同じような形式で最終話のレビューも書きましたので、もしよろしければご一読ください。